LifeStory

中澤純 | Start it again

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中澤純 | Start it again

 

   Start it again

 

 相手を殺す気で挑まないと、敗北する

 ずっとその気持ちで拳をぶつけていた。相手も同じ思いだから、死ぬ覚悟がないままリングでは戦えない。

 強くなりたい。強くありたい。六歳のあの日から自分に誓約した。俺は、誰よりも強者であり続けると。

 だが、二〇一八年十一月、Kー1WORLD GP準決勝戦。二ラウンド目、対戦相手からの膝蹴りによりダウン。倒れるまでのコンマ数秒間、見ている光景、歓声などの体感全てがスローモーションになった。不思議な感覚だった。

   絶対に勝ってやる、負けるわけにはいかない。

 これまでどんなことが起きても、そんな風に思っていた。しかし、腰が床につく瞬間、俺は、次の対戦相手を考えてしまった。この戦いに勝者した者は、当時チャンピオンだった選手と一戦を交える。もし仮に、残りラウンドで相手をKO勝ちにしたところで、きっと敗れるだろうと予感した。

 立ち上がり時、意図したわけではないが、苦笑いを浮かべた。

 死ぬ覚悟がなくなった。

 戦いが怖くなった。

 命を懸けられなくなった。

   三ラウンド目が終わり、判定により、敗退。

 控室に戻り、まだ肩で息をしながら、セコンドに伝える。

「引退する」

 約半年後、引退セレモニーを行なった。

 それからしばらくの間、ふとしたときに涙がこぼれ落ちた。やり残したことはない。やり切った自負もある。だが、あともう少しだった。もう少しで世界一に届いたのに。悔しいよりも、寂しい想いが強い。試合の興奮や感動が味わえないことへの寂寥感に苛まれる。

 強くなりたい、強くありたい

 そう思ってから二十四年間、ずっと戦ってきた。

 あの日、母が死んでから、俺はずっと自分とも戦ってきた。

 

 *

 

 当時六歳児にとって自分の部屋を持つことは、これまでもらってきたどんな誕生日プレゼントよりも嬉しいものだった。新築のマイホーム。まだ、塗装された匂いが微かに残ることすらも幸福だった。興奮が冷め止まず、就寝時間が過ぎてもリビングではしゃいでいた。

「早く寝なさい」

 怒られる一歩手前くらいまで、同じことを言われ続け、観念した俺は、二階にある自室へと戻る。ただ、一向に眠気は襲ってこず、布団を被っても夢の世界に興じることはなかった。

 おもむろに身体を起こし、抜き足で一階に降りる。リビングには明かりがついており、両親は起きていた。ドアの隙間から二人を盗み見たのは、「まだ寝てないのか」と怒られないようにするのと、子どもながら妙な胸騒ぎを覚えたからだ。顔を向き合わせ、深刻に話している様子が窺えた。

「私  死んじゃうかも」

 耳を疑った、という表現を当時は知る由もなかったが、母の口から「死」の単語を聞いたときは驚きを隠せず思わず声が出そうになる。

「何、馬鹿なことを言っているんだ!」

 父が怒号に近い声を発しながら、母の肩を掴む。父は、なだめる言葉を探せず、弱気になった母を不器用ながらも励ましていた。

 見てはいけないものを見てしまった後悔の念に襲われ、俺は部屋へ戻った。数分前まで眠れなかった興奮は影を潜め、姿なき恐怖のせいで寝つくのに時間がかかった。

 数日後に、母は入院。

 その間に、日々の面倒を見てくれた祖母からは、

「ママの病気が治るように仏様にお祈りしようね」

 南無阿弥陀仏の歌を教えられ、俺は毎日唱えていた。死や病気、仏、言葉の意味なんてよく分からなかったが、抱えきれない不安を払拭するには、念仏をただひたすら口にするしかなかった。

 しかし、夏に入院して翌年の春。母は死んだ。乳ガンがきっかけで、転移したことによる死。三十二歳だった。

 若くして亡くなった母の葬儀には、多くの参列者が手を合わせて祈った。僧侶が呪文のような、聞き取れない言葉を繰り返し唱えている。時々、祖母から教わった単語が耳に届く。

 ふと俺はそのとき、神様なんていないんだ、ガンで治る人は嫌いだ  そう思うようになった。

 母のいない幼少期、戦隊ものの番組を見ていたのもあり、誰よりも強くありたいと願った。力こそ全て、それが正義だと捉える。自分が強くならないといけない、弱い自分ではダメだと言い聞かせる。

 五年生になり、群馬県桐生市にキックボクシングジムがあることを知る。テレビでKー1グランプリを視聴していたため、キックボクシングを習えば画面の向こう側に出られるのではないかと、夢を抱くようになった。父に頼み込み、通わせてもらうことに。

 入会して一ヶ月後、先生から、

「中澤君は負けん気が強い。きっと才能があるはずだ」

 そう言われ一学年上の、黒帯を持った空手をやっている人との初試合が組まれる。これまでにない緊張感に包まれ、口内は乾燥し、震えが止まらない。ゴングが鳴った瞬間から、記憶がなくなった。

 気づけば試合は終わっており、判定負け。自らの意思で始め、それなりに自信があったにも関わらず、あっさりと敗北。情けなく、惨めな気持ちになった。自分には才能がないのかと思うほど落ち込んだ。小学校五年生、十一歳で味わった初めての挫折。

 ただ、そこで折れなかったのは、強くありたいと心に決めたから。逃げてしまえばそこで立ち止まってしまう。力、強さを追い求め続け、頻繁に戦いに挑むようになっていく。

 中学生になり勉強もせず身体を鍛える日々。教師たちからは常に要注意人物と認定。高校に進学する気もなく、格闘技で食っていく信念を貫いた。

 卒業後は環境を変えて、群馬県太田市のジムへと通い始める。

「俺、本気でKー1出ようと思ってます」

 その心意気を買ってくれて、練習に励み続けた数ヶ月後、現役を引退した中年のタイ人と戦うことになった。腹回りには脂肪がつき、いくら元選手とは言えども、現役でトレーニングをしている自分には勝てないだろうと高をくくる。

 だが、実際は合気道のように、拳が躱され、全力でかかっても相手の懐にフックを入れることすらままならなかった。まるで未就学児と大人のお遊び。涙が出るほど悔しかった。同級生のほとんどは高校に進学したというのに、俺は今まで何をやっていたのか  。思っていた以上に甘かったことを知り、さらに自分を追い込んでトレーニングを重ねていく。

 勝負の世界だから、勝利もあれば敗北もある。ひたすらに練習を続けて、十八歳でプロデビュー。試合一ヶ月前は友達との連絡も断ち切り、フィジカルもメンタルも整える。ただ、対人練習をしていた最中、相手からのハイキックにより顎が折れてしまい、大手術を行なう事態に。十ヶ月以上試合ができない生活を強いられた。リハビリをしてなんとか筋力を戻し、新人王のチャンピオンという栄光を掴み取る。それからは、キックボクシングのチャンピオンを目指し、連戦の末、二十一歳でチャンピオンベルトを獲得。

 まだまだ青二才ではあるものの、大多数の同級生が大学生活を謳歌している中の勝利に感極まって涙が溢れた。英才教育を受けていたわけでもない、特別なメンタルの強さがあったわけでもない、ここまで積み重ねてきた努力がようやく実を結び、地元に元気を届けられたことが嬉しかった。

 だが、世の中には強い選手が数多くいる。勝つことが多かったとはいえ、だんだん自分よりも若い人たちが活躍していく。気づけば二十五歳になり、結果を誰よりも残さなければならないのに、業界的には若くない年齢になった。ただその頃には、地元の新聞には取り上げられるようになり、協賛企業とも契約を交わすくらいには名をあげていた。しかし、いくら練習を重ねても勝てないタイミングが続き、初めての三連敗を味わう。自信を失い、外に出ることすらも億劫になった。

   スポンサーついているのに負けたのがあいつだよ。

   ちゃんと練習してるの?

 そんな風に言われているのではないかと錯覚するほど疲弊していた。地元ではそこそこ有名ゆえに二、三日の間は世間の目を恐れ雲隠れしていた。

 サンドバッグを殴り、手から血が出るほど練習をしたのにも関わらず訪れる現実。自分に投資した時間は一体なんだったのか、なぜ勝つことができないのか、そんな葛藤に苛まれ、家にある物に当たってしまうほど落ちぶれていた。抑えきれない、負の感情が突然夜中に襲いかかり、逃げるようにして車の中に駆け込み、大声で叫ぶ。クラクションをずっと押し続けたくなるほど、俺は自分を見失いかけていた。

 家に籠もっていたある日、スポンサーから連絡がきた。戦績を気にしてくれての電話に対して俺は、

「結果が出せず、本当に申し訳ございません」

 と謝罪すると、少し声色が変わった。

「純くんが、次もし負けて今みたいに謝ったらもう応援しないよ。僕たちは純くんが頑張っている姿を見て元気をもらっているんだから。勝っても負けても関係ないよ」

 その言葉をもらって、涙が出るほど嬉しく、心が軽くなった。二十一歳でチャンピオンベルトを獲得したときとは違い、リングの上で戦う理由が、いつの間にか協賛企業や地元のことを考慮しすぎていた。でも、そう言われたことによって、良い意味で自己中心的になることが、俺自身の本来の強さを引き出してくれると確信する。

 その直後の試合では、復帰戦を果たし、なんと六連勝を記録。自分のために、強さを追い求めることで成し遂げた結果だった。

 しばらくしてから俺は、一度スポンサー離れをしようと思い立つ。もっと一般の人たちにも自分たちの活動を認知させたかった。殴り合うだけではない姿を、俺たち格闘家の価値の向上を図るためにも。

 そこで、賛同してくれた格闘家仲間たちとボランティア活動を試みた。協賛企業だけでなく、世間一般の人からも応援される立場にいないといけない。応援や声援を得るには、まずは自分たちから地元や地域に貢献する必要がある。もう間もなくすれば、動き出すところまで準備が整った。

 その矢先、東京でフィットネスジムを経営している人物から唐突にメールが届く。

『フィットネスジムで働いていただけませんか』

 丁寧な挨拶文とともに添えられていた言葉。以前から、いつか訪れる引退後に、ジムを作ろうかと考えていた。タイミング的にはもちろん先の話でも、興味本位で約束を取り付けた。群馬県に用事があるのでその際お会いできませんか、という旨を承諾して。

 後日、話を聞いて魅力的だなとは思ったが、ジムの経営に傾倒すると練習時間の確保が難しくなることが懸念される。ただ、たまたまボランティア活動目的で召集していたメンバーに声をかけてみると、数名が協力してくれる形に。結果的にチームをまとめた役割を担ったため、半ば社長業に近い業務を行なっていた。自分も今回の出会いをきっかけに、パーソナルトレーニングの事業をスタート。これまではスポンサーのおかげで生活には困らなかったものの、二十代半ばにして働く経験が皆無なのを恐れ、細々とアルバイトをしていた。それに、いくら格闘技で活躍するといっても、ファイトマネーだけでは心許なかった。

 成り行きで始めた仕事は、見切り発車もいいところ。決して潤沢とはいえない貯金からパソコンを購入するも、キーボードの打ち方さえも分からない。税金や請求書の作り方、パワーポイントなど学ぶことは盛り沢山。練習と、仕事の両立が想像を絶するほど過酷だったが、無から有を生み出すことが楽しく、日々成長している感覚を覚え始める。初めて新規のお客様から問い合わせがあり、体験レッスンの三千円を受け取ったときの感動は、リング上での勝利とはまた違った喜びを享受した。

 同時に、多くの異業種の人たちと触れ合う機会に恵まれる。地元企業の社長らから指導依頼を受け、交流を深めていくと、いかに見ていた世界、視野が狭かったかを痛感させられた。

 ずっと格闘家として生きてきた。

 格闘家こそ正義、強い人間が偉い  

 そんな風にしか考えられていなかった。同世代が青春を謳歌している中、延べ数百時間のトレーニング。勝利の裏には数えきれない葛藤と闘ってきた自分に、優越感すら抱いていた。しかし、当たり前のことだが、人それぞれ違った生き方をしている。みんな相応の苦労と血の滲むような努力を乗り越えて今がある事実に、なんて自分は浅はかだったのか思い知らされた。

 やがてお金のために働いていた思考から、仕事をもっとしたいと考えるようになった。培ったスキルやノウハウが、誰かの役に立てて、世間にメッセージを発せられるのは、格闘家の肩書だけでは得られないものだった。

 ビジネスは軌道に乗り始め、開業して四ヶ月後に法人化。お客様がトレーニングを通じて、体格や体質が変わり、表情が豊かになっていく姿を見ることが喜びとなった。もっと笑顔を見たい。もっと多くの人に夢を与えたい。明るくなってほしい。綺麗事抜きに、本心から思えたこと。

 そんな想いから、エイムハイ  『高い志』の意味を込めて名づけた。

 格闘家でありながら、経営者となった俺は、戦う以外での責任感を覚えるようになる。

 これまで自分のために生きていた。自分がかねてより叶えたい夢のために、ひたすら努力し、練習し、勝利を掴み取る。だが、従業員やお客様の期待に応えたい、指導者の立場の俺がリングで相手をノックアウトさせる姿を見せたくなった。戦いは、自分だけのものではなくなった。

 とはいえ、仕事に注力すればその分、練習時間の確保は難しい。ビジネスを始めたばかりの頃は、一日の練習時間はわずか六十分ほど。こんな状態で勝てるのか不安になったが、少ないながらも効率良く鍛え上げて試合に臨む。結果、韓国のチャンピオンにも打ち勝ち、その後の試合にも連勝。

 一方その頃、世間からの心ない言葉が耳に届いた。現役の格闘家にも関わらず経営に走った、練習を疎かにしているなど。確かに一時期、試合を干されたこともあり、絶望も味わった。もし自分のために戦っていたら、きっと心は折れていたかもしれない。だが、一人の格闘家にはないものを、俺は背負っていた。自分には仲間と期待に応えたいお客様がいる。生半可な気持ちでリングに立っていない強い信念がある。負ける気は一切なかった。

 そして、三本目のチャンピオンベルト。

 これまでのベルトとは、また違った想いで得られた勲章。俺一人では決して獲得できなかった証に喜びをかみしめた。

 憧れだったKー1にも出場。子どもの頃に描いていた夢を叶え、達成。自分の人生が誇らしいと思えた、栄光を掴んだ貴重な機会にしばらくの間ずっと胸が躍った。

 それからも経営と、己を強くするため、鍛え上げていった。

 それでもなお、引退という二つの文字は脳裏に浮かび始めていた。防衛戦、納得のいかない判定負けをくらい、徐々に自分がリングに立つのではなく、他の選手を活かす道が適しているのではないかと思うようになった。

   ついに、訪れた運命の一戦。

 二〇一八年十一月、Kー1WORLD GP準決勝戦での敗北。

 俺は、守るものができた故、死んでもいい覚悟を失った。

 自分のためだけなら、命を懸ける覚悟があった。だが、死んでしまうことが怖くなってしまった。従業員やお客様のことを考えてしまうからだ。

 今、倒れたら誰が守るのか  

 身につけたこの強さは、人を守るためなのだと気づいたとき、自分の選択に微塵の後悔もないまま、キックボクサーの中澤純は退いた。

 

 *

 

 引退して初めて、格闘技の練習が楽しくなった。

 これまで戦場で生き残るために練習して、試合で勝ってもその次の試合ではどうなるかは分からない。終わらないゲームに挑み、勝ち続けるためには猛特訓を半ば義務的にやっていた。

 引退後は心に負荷されていた重圧から解き放たれたことにより、楽しいと思えるようになったのだ。誰かのためにやるのではなく、自分のためのトレーニング。それは、本気でやり切ったからこそと自負できる。

 これからは自分が楽しいと思えるものを追求していきたいと、感じるようにもなった。それは、経営も一緒。幼い頃抱いたKー1に出場したい夢を抱き、叶えられた。今度は、夢を与える場所と、夢を叶える人を作ることが自分にとっての生きがいへ。

 パーソナルトレーニング事業をしているうちに、運動を通じて元気になり、生き生きする人たちを多く見てきた。忙しすぎる現代人は、仕事に没頭しすぎている。学生まで定期的に行なっていた運動は、大人になるにつれて減っていく。

 しかし、運動をして汗をかいて、充実感を再認識できれば、良いエネルギーが身体を循環させ、パフォーマンスが上がる。本来我々人間が持っている力を最大限引き上げ、もっと自分の可能性を広げてほしいと心から願っている。

 昔抱いていた夢が例え今叶わなくても、大人になってから実現させたい夢や願望は誰しもが持っているはず。それを人は無意識的に諦めてしまっていることがほとんど。特に、年齢を理由にしている人は多いだろう。

 だが、俺は経営という面ももちろん、これから新しい生き方として、総合格闘家としてのデビューを果たそうと思い、日々練習に励んでいる。キックボクサーとしてはプロとして活動してきたが、総合格闘技は全くの素人。年齢や経験ではなく、自分が楽しいと思える新しいことを見つけられたから、取り組む新たなチャレンジ。

 俺自身が夢を追い続け、共に育み合い、成長し合う環境を、スポーツを通じて多くの人に知ってほしい。決して、緩やかな人生は送らない。常に高みを目指して、果敢に攻めていきたい。人生は、いつだって『Start it again』。

 自分が変わりたいと思えれば、挑戦したいと思えれば、いつだってスタートできる。その場を、夢や目標が叶えられる場所を、これからも提供し続けていく。同時に、自分の夢も追い続けて。

 

 *

 

 モデル:中澤 純

 職業:フィットネスジム経営

 

 中澤あとがき:

 最後までご覧いただきありがとうございます。見てもらえれば分かる通り、私はエネルギーの塊みたいな男です。なので常に成長、成功に向けて努力をするのが好きですし、同じタイプの人間が好きなんです。

 もちろん、「足るを知る」という考えも素晴らしいと思います。

 しかし、「もっと理想の自分になりたい」「もっと凄い人間になりたい」と思うことも一つの幸せの形だと思っています。

 叶う叶わないは別として、夢中で追いかけている時間は、本当夢の中にいるような時間だと思います。

 そんな場所を作りたいという想いで現在はAimhighを運営しております。

 もちろん、夢を持つと辛いこともたくさんあります。批判やアンチもたくさん来ると思います。

 Aimhighという場所はそんなあなたの味方です。あなたならできる!

「Aimhighはみんなの夢を作る場所」

 

 

 

 著者あとがき:

 

 まずはじめに、キックボクサーとして名を轟かせていた中澤純さんを取材できたことを光栄に思え、心からお礼を申し上げたい。

 社名の通り、自分自身を強く、高めることへのエネルギッシュさを取材中ヒシヒシと感じ、私の日々の行動や考えがいかに甘いかを痛感させられた。

 読者はどう感じてくれただろうか。

 中澤さんのライフストーリーを読んでいただき、昔抱いていた夢をぜひ思い返してほしい。もしかしたら、もう今は実現不可能なものかもしれないが、今この瞬間、『いつかできたら』と思っていたことにぜひ挑戦してみてほしい。そのためにも、今通っているジムで心身ともに鍛え上げ、もう一度自身の可能性を信じてみてほしい。人間、年齢を理由にするほどきっと弱い生き物ではないはず。常にチャレンジできるはずだと、私自身は思う。そのためにはもちろん、高い志を抱き続けること。一人では決して到達できなくても、中澤純という男がきっと引き上げてくれるだろう。

 

         ライフストーリー作家®︎ 築地 隆佑

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