LifeStory

横尾大地 | 新時代を生きろ

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新時代を生きろ

序章  決断

「横尾くん、この会社を辞めることに、本当に後悔はないんだろうね?」

上司が、わざとらしく会社の部分だけ語気を強めに言ったのが印象的だった。
その言葉には、「こんな大企業を辞めるなんて普通じゃない」という意味が内包されているとすらも思える。
不安がないわけではなかった。この決断を下して告げるまで、ある程度の時間はかかった。
だが、もう自分の中で整理はついている。後戻りはしない。

「はい。自分で決めたことですから」

上司は、僕の意思が揺らいでいないことを再三確認し、溜息まじりで僕をデスクへと追いやった。
その態度には、呆れているだけでなく、悔しさも混じっているように見える。
入社して7年目、手塩にかけて育てた部下が退職するとは思っていなかっただろう。
しかも現職とは対極に当たる、外資系金融機関の営業職に勤めるなんて誰が想像したか。

社会人──いや、高校生にも知られているような大企業にいて、同世代に比べて高収入であり、安定した生活。
羨望の的で、恋愛や結婚においても困らないだろう。

だが、それでも僕は離れたかった。
人生100年時代とも言われる現代、自分にとって居心地の良い環境に身を置くだけでは成長できない。
それに、僕はこの環境が性に合わなかった、ただそれだけのこと。
僕はデスクに戻り、与えられたタスクをこなす。もうすぐ新しい世界で挑戦できる。
そう思うだけでワクワクが止まらなかった。そう思った瞬間、僕はハッとする。

いつの日からか、将来に対する高揚感が失われていた。
社会人5年目を過ぎればなんとなく、この会社に勤続し続けた未来が見えてしまう。

少しだけ離れた位置にいる、先の上司の表情を窺う。
僕は、まだ入社したばかりのことを懐古しながらキーボードを叩いた。

第一章  偽りの自分

「横尾くんは、これについてどう思う?」

課長がそうやって質問を投げかけてくれるものの、課長の考え方を踏まえると、どう回答するのが適切かを探った。彼の頭の中には部長を配慮する意向しかない。

どんな仕事をするにしても、僕より立場が上の人を常に気にしていなければいけない。
言うならば、忖度の世界。

たとえ係長の許可を得ても、課長に認められなければ話が進まない。
課長がOKのサインを出しても、部長が首を縦に振らなければ却下される。
つまり、どんな些細な業務でも、それぞれの役職の意向を汲んで遂行しなければならず、僕個人の考えや感情は皆無に等しい。
言われたことを正しく行ない、見栄えよく、誰にとっても程よい満足度を届ける必要がある。

大手一流企業の良い面でもあり、悪い面でもあるが、それが社員たちの意思を統率させる組織力の強さなのだ。
これまで培ったノウハウや、数十年の歴史で築き上げた文化を維持させるためには、平等な評価基準を設ける必要がある。
その事実に違和感を覚えたのは、社会人4年目の頃だった。

僕は、なんでもオールマイティーにこなせる人間ではない。
過大評価されがちではあるが、実際のところ、さほど能力が高いわけではない。
大学生の頃、アルバイトでビアバーのバーテンダーをしていた。

僕は、一つのことに熱中して努力し、成果を出すタイプ。
あれこれ器用にこなすマルチタスクは大の苦手だった。
努力だけではカバーしきれない部分があり、それでも性格上なんとか克服しようとはする。

しかし、店長やスタッフからは罵詈雑言を浴びさせられ、時には「死ね」なんて言葉も言われ、自信を喪失した。そこで改めて、僕は器用にできる人間ではないことを自覚した。
同時に、自分にとって不得手なことを理解し、一つずつレベルを上げるためにとにかく地道に努力し続けることを決めた。

大手企業の強みは、優秀な化物クラスの人材が数多いることだ。
自分の出来なさ加減に悲観するも、負けず嫌いの性格が功を奏して、必死に先輩や同期に食らいつこうとしていた。

正直、投げ出してしまおうと思ったこともある。
ただ、それは瞬間的にネガティブになるだけで、矜恃と日々の努力でカバーをしてきた。
そういう意味では、刺激が強く自己成長できる環境ではあった。

しかし、僕が合わなかったのは、いわゆる社風だった。

「横尾くんはどれにする?」

「そうですね……」

「じゃあ、俺はヒレカツ定食で」

「あ、じゃあ僕も同じのでお願いします」

オフィスで時間を共有するだけでなく、ランチをするときまで上司と一緒。
ここでも僕の意見は言えない。上司や先輩の機嫌を伺い、それに合わせて生活していくスタイル。
食事の最中も気は休まらず、ここぞとばかりに出てくる数々の愚痴を受け止める。
美味しいはずの料理が窮屈な空気感のせいで、堪能できずにいた。

飲み会も同様。部長たちを接待するために呼び出され、楽しさなんて微塵も感じられない。
そのサイクルがほとんど毎日行われ、僕はいつの間にか上司に従順な精度の高いAIのようになっていた。

彼らから求められた回答と意見を伝えた上で、仕事の成果を出す。それがルールであり、生き方だった。
相手の顔色を窺わず、好き勝手に自己主張をしていた時期もあったが、次第に言えない雰囲気にのまれ、やがて言わなくなった。

金曜日になれば、悩みを共有できる旧知の仲と飲み、土曜日と日曜日は自分のスキルアップのために勉強をする。そして月曜日からは、優秀なAIと化す。そんな生活に馴染んでいく自分に、個性なんて何一つない。
サラリーマンとはこういう存在なんだと信じ込み、自分を演じていくうちに、自分自身をも騙し続けていた。

そんなある日。外資系金融機関で働いている父から言われた。

「もしかしたら、こっちの世界の方が大地らしく働けるんじゃないか?」

僕が幼い頃から、父は外資系金融機関で働き、父の活躍の場を目にしてきた。
評価、成績に応じて海外で表彰される度に家族旅行がてら連れていってくれた。
それ以外でも、年に一度のペースで海外旅行をする生活。

社会人になった今、稼いでいくことの大変さを知り、単身ならまだしも、家族を養うほどとなると相当な努力が分かる。同時に、努力に応じた報酬を得ている事実も身を持って体感していた。
あまり気にしたことがなかった父の仕事に関心を寄せた僕は、父の紹介で担当者を繋いでもらった。

そこで聞いた話は、大手通信会社とは正反対のやり方で仕事をするスタイルだった。
裁量は全て自分。働く時間も自分次第。チームはあっても、お互い切磋琢磨し合うライバルのような関係。
努力をし続ければ、その分の見返りも反映される。

「今すぐ決めなくて良いので、持ち帰ってよく考えてみてください」

担当者はそう言って僕に考える時間を与えてくれた。

サラリーマン生活が長くなってくると、大学までの同級生たちが会社を辞めて独立している話を小耳に挟むようになってくる。彼らの動向はSNSを通じて知るが、僕には到底その勇気はない。
起業できるポテンシャルはなく、努力でカバーしきれるとは思えなかった。

しかし、他の会社の情報を知り、外の世界はどうなっているかの関心が一瞬でも高まったのは事実だった。
また、自分が今、置かれている環境を、客観視できるようにもなっていた。
そんな心境になってから上司の姿を見ると、僕は十年後に、あのポジションにいたくないと思い始めるようになる。誰もが知る有名企業で、安定した収入を得られる代わりに、個性を押し殺し、変わらない毎日を過ごす。
たまの休日を謳歌し、日曜日の夜は、翌日以降を考えるだけで溜息が洩れる──。

その日々に僕は楽しさを見出せるのかどうか、この環境に居続けることで自己成長できるかを自問した。
確かに、大きな組織で社会を動かすやりがいはあり、充実している。
だが、自分の意見が反映されるまでの昇格への道筋を考えると、これから先、何十年もかかる可能性がある。
それに、自分のスキルが飛躍的に伸びるかどうかも難しい。

──もしかすると、今この環境を手放すのが最適解なのかもしれない。

とはいえ、大企業に勤める自分はリスクを恐れた。
就職活動をしていた大学生の頃は、都市政策のゼミに所属。広く知られていないだけで、全国にある素晴らしい文化や技術が廃れてしまう現実を学んでいた。
だから僕は、ネットの力を使い、世間に伝える支援をしたいと思い、行き着いた先が大手通信会社だった。
ネームバリューのあるところで活躍したい想いは、無意識の中で安定を求めていたのかもしれない。

だから、そう簡単に思い切った挑戦ができるはずもなく、悩む日々。
それに、今までは会社という後ろ盾があったが、もし転職となると、僕個人のブランドでどこまで通用するのかの恐怖も覚えていた。
会社に席さえあれば、いずれは年収1000万円も確実。生活には困らない。

しかし、いざこの場を離れて、年収が半分以下になるとどうなるか……そんなことを毎日考えるようになっていた。

僕は決断を渋りながらも、情報を収集していく。
ネットで探していくと、良い評判もあればもちろん悪評もある。
悪いものは見ずに、良い情報を集め、その内容に納得性があるものかを判断しながら自分の中でモノサシを決めていった。

だが前提として、僕の父に絶大なる信頼を寄せている。
父がわざわざ息子に対し、悪い会社への入社は勧めないはず。
むしろ、性に合っていると提言してくれたほどである。

収集していくうちに、少しずつ新しい世界へと気持ちが揺らぎ始めている自分がいた。
そして僕が歩みたいと思う人生は一体何か、具体的に何歳で何を叶えたいかという年表を作り、理想の人生を可視化させた。そして、今のままでは実現できないと結論づけた。

一つの判断ができたことで、僕の心は晴れやかになり、辞めることへの理由も自分なりに定義づけられた。
性格上、向いていない職場に身を置きながらも、努力してきた結果、影響力のある仕事に携わってきたことは一つの自信となり、この自信はきっと次でも役立つだろう。
そうやって、僕は腹落ちをさせ、決断を下した。

「今までお世話になりました」

勤めた期間6年10ヶ月。ステージが変わることを想像すると胸が躍った。
これから始まる理想と現実に苦悩することを知らないまま。

第二章  うまい言い訳

働き始めてしんどさを覚えたのは、僕の話し方や伝え方だった。
社会人になってずっと、僕は誰に対しても上手く説明することに長けていた。
できない理由──つまり、言い訳を相手に納得させることさえも。

前職で僕が行なっていた業務の一つに営業もあったが、その相手先は企業。
今後は、個人営業へと変わる。

転職を考え始めた頃から、大手企業にいて社会を変えていくよりも、身近な存在である目の前の人たちに幸せになってほしいと願い始めていた。大きい企業であれば、スケールもデカく、達成感は十分に感じられる。

しかし直接的な「ありがとう」は耳に入ってこない。

僕は距離が近く、名前が分かる人たちの人生に役立てる存在、僕との出会いによってその人の人生観が変わっていく感覚を得たかった。ただ、その想いとは裏腹に僕は苦戦を強いられた。

これまでは、物事をうまく丁寧にわかりやすく説明するだけで済んでいた。
しかし、個人を相手にするとなると話は全く異なる。
どうやって心に響く伝え方をするかが課題だった。

時には、心ない言葉を言われて傷つくこともあれば、自分自身にブランドと呼べる価値がないことを痛感し、悲しむことも。その心境を上司に伝える。

「うん、うん、よく分かった」

その言葉を聞いて胸を撫で下ろすも、すぐに続けて言われた。

「よく分かったよ、言い訳は」

僕は、無意識のうちにできない理由を述べていたのだ。

「横尾くんは、どういう仕事をしにきたの? 目的は何?」

僕は前職で、無理難題のタスクを星の数ほど与えられ、納期やスケジュールの兼ね合いで、できない理由・言い訳を作り出す天才になっていた。しかし、それはあくまで過去の話であり、今は仕事も環境も違う。

説明をするために仕事をしているのではない。

成果を出すために仕事をしている。

それに気づかされて以後、早くこのクセを直さなければならないと躍起になった。
上司にロールプレイングに付き合ってもらうも、7年という歳月で蓄積されてきたクセを取っ払うのは至難の技だった。それでも実践あるのみで、とにかくお客様と会う約束を取り、営業していった。

──今になってやっと分かったことがある。

大手企業で自分が動かずとも、仕事が振られてくる体制には感謝の念しかない。
それに、自分というブランドに、まだ価値が低いことも改めて実感する。

大手通信会社という大きすぎる看板を背負ってやってきた僕は、名刺交換をした途端に見られる目が変わる。
しかし、その看板を外された僕にはまだ人を惹きつける魅力がないことを知り、絶望に近い感情に襲われる。

だが、いつまでも悩んでいるだけ時間の無駄だ。
とにかく言い訳をする自分にケリをつけ、考えて行動して結果まで担保し、もし仮にうまくいかなければ自分自身で尻拭いをする。
そこまで一貫してやらなければならない職場で、大きく成長できる機会を得られたのは有り難かった。

また、僕には良いライバル──父がいた。

入社したからには父を超えたい想いがあった。
経験や実績は及ばずとも、それを覆すほどの結果を残したいとも思えたのである。
きっと期待してくれていただろうから、それに応えたかったし、何より自分のためでもあった。

心底、今の環境は恵まれている。

裁量は自らの意思で決められ、どれだけ働くか、働かないかは自分が立てた目標に応じて稼働すれば良い。
とにかく自らの言い訳癖を直していくことと、やるからには圧倒的な成果を出すことへの必死さが僕の心と体を動かした。前職はどれだけ動こうが、チームとしての数字となってしまい、個人の成績が開示されるものではない。

しかし今ならば、動けば動くほど目に見える数字になっていく達成感は、個人で活動することの最大の良さだと感じられる。

日が経つにつれて、僕は相手の反応が分かるようになってきた。
こういう伝え方をすれば、お客様は引いてしまう。
こういう言い方をすれば、僕に興味を持ってもらえる。

そんなトライアンドエラーの日々が続き、名前のわかる個人に対してサービスを提供し、目の前で「ありがとう」を言われる喜び。
人のためを思い、身近な人に役立てることに心が満たされていく。

次第に、仕事への余裕も生まれ始めていった。
やろうと思えば24時間、仕事もできるから、今週はバカンスをしに行こう。
そんな決断を自ら決められるようになったのは一つの自信になった。

特に、一番の変化は物事の判断。
生きていれば毎日、何かしらの決断に迫られる。
これまでは、上司のお伺いを立てなければいけなかったり、自分の意見を通すのに時間がかかったりして、ヤキモキしていたが、自分だけの考えで判断をする機会は桁違いに多くなった。
全てが正解に導けずとも、そこで得た学びを次に活かし、繰り返さないことで成長している感覚を覚え始めていた。

もしかすると、大手企業では20年かかるかもしれない成長が、たったの5年で終えられるような手応えに、僕は興奮していた。明日はどんな出会いがあるのか、どう変われるのか、毎日が刺激の連続だった。

30歳手前にして、僕は初めて自由に、生きたいように生きている楽しさに満ち溢れていた。

最終章  新時代を生き抜け

2020年2月。対岸の火事かと思われていた新型コロナウイルスは、日本にも猛威を振るった。
オフィス街からは少しずつ人が減り、自粛モードに変わっていく。
4月には緊急事態宣言が発令され、日本はおろか、世界中でかつてない事態に多くの人たちが戸惑い、迷い、頭を抱えた。僕も、ご多分に漏れず対面での活動停止を余儀なくされたが、それを機に今後、大きく変わっていく社会を俯瞰して見ていた。

いかにこの変化に対応し続けながら生きていくかが鍵となっていく。

今や、大手企業に席があることで安心材料になる時代は終わった。
安定していると思っていた企業の倒産。
リモートワーク化によって人員コストの削減など、10年前では考えられなかった出来事が次々と起こっている。

その分、現代だから活用できる面ももちろんある。
それをうまく取り入れていけるかどうかが、生き残っていく手段となる。

新時代についていくためには、まずは今の環境で満足しているか、自分の心の声を聞いてみること。
毎日、納得して生きているか。本当に今の環境でやりたいことが叶えられているのかどうか。

みんな不安は同じ。
だからこそ、仕事としての価値や、自分自身が社会的に重要なポジションにいられるかを確立させていくことが大切だと考えている。

いつまでも何かに縋っていては、社会から脱落してしまうだろう。
そうならないために、企業に捉われず自分の価値を高めていけば、きっと望んだ未来が手に入る。
そこまでの道のりは決して容易いものではないが、今、一歩踏み出す勇気さえあれば乗り越えていけると信じている。僕が一番そう信じているから、ともに自分の未来を自分で切り拓いていきたいと思っている人には、全力でサポートしていきたい。

必ず未来は変わる。
リスク思考だった僕が大きく変われたのは、この環境に身を投じようとした一歩があったから。

自分らしく生きる環境を手に入れて、強みを伸ばしていけば、生き残れるチャンスを掴める。

僕は、誰かのために役立ちたい。
大手企業では知り得なかった、身近な人で、目の前の人に喜びを届けたい。
変わるなら、今しかない。

数奇な巡り合わせで、僕と出会う人に、百年時代の生き方について考えるきっかけを少しでも多く作っていきたい。

本人あとがき:

読者の中には、私が何か特別な能力や運を持っている存在だと感じている人もいると思いますが、前職であれば一つの駒として会社を支えていた普通のサラリーマンでした。
自分らしく輝けるステージに活躍の場を移すだけで、人生が180度変わることを一人でも多くの方に届けていけたら本望です。
『自分らしい』人生を歩みたいのなら、「ちょっとした勇気ある決断」の価値を正しく認識できるかどうかにかかっています。

著者あとがき:

横尾さんをインタビューさせていただいたのは、今回で2回目。
まだ外資系金融機関に身を置いて間もない頃、ご紹介でお会いし、即答でご依頼をいただきました。
そして2年あまりの月日が経ち、再度、連絡を受け2020年10月に取材を実施。
実は第1回目のときに、自らのキャリアプランをお伝えいただき、またその時が来たら第2弾を書いて欲しいと頼まれていました。その日が来るのは数年後かなと思っていると、正に宣言通りのタイミングだったことに驚きを隠せませんでした。
このあとがきで私は何を伝えたいかと言うと、この人は本当に思ったこと、宣言したことを確実に、着実に叶えているということ。

まだまだ彼の中には思い描いている未来がたくさんあります。
きっと、血の滲むような努力の結果、その未来を掴み取ると思っています。
第3回、第4回と取材ができることを待ち遠しいと思いながら、私自身も負けないように成長していきたいと思っています。

是非、このライフストーリーを手に取っていただいた皆さんには、一度会っていただきたいです。
きっと、人生が変わるきっかけをもたらしてくれるはずです。
大変な時代になったからこそ、自らの意思で個性を伸ばしながら生きていくその楽しさを横尾さんは教えてくれるはずですから。

ライフストーリー作家®︎ 築地 隆佑

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